里見氏安房国替四百年の供養祭を観に、館山城に行ってきました。

 今年は安房国主としての里見家が事実上滅んでから四百年に当たり、また『南総里見八犬伝』(以下、「八犬伝」と表記)の刊行が始まってから二百年に当たるそうです。この節目の年に、里見家所縁の地域では大々的に里見家を推す動きが強いそうです。
 本日は里見氏安房国替四百年の供養祭があったので、八犬伝博物館への初訪問を兼ねて、館山城を訪れました。


 八犬士の元になった八人の殉死者のお墓にも行きました。

 天守閣を模した八犬伝博物館から見下ろす風景も素敵でした。

 八犬伝博物館で残念だったのは、展示についての説明が拙い事でした。実際には八犬伝を読んでない人が書いたとしか思えない文章もありました。
 まず入館して直ぐ、八犬伝についての解説文の中に「安房国を物語の発端とし」という表記がありました。子供向けに書き直された作品や、八犬伝の派生作品の中には、確かに話が安房から始まるものもあります。しかし本来の八犬伝の物語の発端は結城合戦です。
 二階に行くと、「犬塚信乃 登場」のコーナーに「春王・安王から名刀村雨丸を預った大塚匠作は」という表記がありました。しかし村雨丸足利持氏が春王に与えたものであり、決して安王との共同所有物ではありません。これは第十五回の匠作の発言から明らかです。
 「大団円」のコーナーでは、「八犬士は京の室町将軍から勅許を受け、金碗氏の名跡を嗣ぐ」とありました。これに至っては、八犬伝の内容を全く知らない人でも誤りを指摘出来ます。「勅許」は天皇が下すものであり、将軍が下すものではありません。また陪臣である八犬士は勅許を直接受ける立場ではないので、八犬士を金碗氏にするというこの勅許は里見義成に対して与えられたものです。この名分論は作中でも議論の対象となっているので、一度でも実際に八犬伝を読んでいたならば、まずは間違えるという事は有り得ません。
 これらの解説文は、おそらくは出来の悪い伝言ゲームの末に作られた低質な粗筋を参考に作られたのでしょう。
 八犬伝博物館を出た後は、麓の博物館本館に行き、史実における里見氏についての知識を深めました。
 帰り道では、第33回南総里見まつり(http://satomi.tateyamacity.com/)への参加の準備をしている各地の御神輿を見て楽しみました。

 国常立尊を祭る御神輿が印象に残りました。国常立尊は『日本書紀』ではかなりの大物なのに、祭っている神社を余り見かけません。

南総里見八犬伝 全10冊 (岩波文庫)

南総里見八犬伝 全10冊 (岩波文庫)

日本書紀 5冊 (岩波文庫)

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