今更、ペッパーランチ事件の思い出を散漫に語る。

 西暦2007年、日本で「ペッパーランチ事件」というおぞましい事件が起きた。一々概要を説明するのも不愉快な事件なので、事件を知らない人は原則としてこの記事を無視して欲しい。
 当時の私は、「これだけダーティーなイメージがついた以上、ペッパーランチの名前で商売は出来ないだろう。きっと名目上の身売りを行うに違いない。」と予想した。
 そして皆様御存知の通り、この予想は完全に外れた。ペッパーランチは今でも平気で商売をしている。
 存続している理由は身勝手な消費者が多いからだ。この連中は、「時間帯及び自分の性別・容姿・年齢を総合的に勘案するに、今自分がペッパーランチに行っても無傷で帰ってこられるだろう。」と判断すると、ほんの少しでも安い食事を求めてペッパーランチに赴くのである。
 この連中の行動様式は、ペッパーランチに反省を迫らないのみならず、同業他社の振る舞いまで悪化させているだろう。あれだけの事件を起こしても大して企業イメージが傷付かなかったのであるから、過去に人材の選択・育成に多額の費用を使ってきた他社は、費用対効果の計算をし直したであろう。こうしてめぐりめぐって日本中の女性が事件以前より強大な脅威にさらされる事となった。
 ペッパーランチの利用客や、彼等に迎合する経営戦略を採用する他社を道徳的に批判するのは簡単だ。しかし幾ら批判しても、今更彼等が行動を改めるとは思えない。日本には私の予想以上に極端な利己主義者が多かったという事実をありのままに受け入れるしかない。
 ネット上には「ペッパーランチ事件を風化させないぞ!」と息巻いている方々が何人かいる。私は彼等の正義感に敬意を表するが、「事件直後に既に風化は完了していました。」という反論も加えたくなる。
 この現実に強い影響を受けて行った予想が二つあった。
 第一は、「ペッパーランチは遠からず別の不祥事を起こすだろう。」というものである。これは食中毒事件が起きた事によって当たった。
 第二は、原発事故の直後、日本中がエネルギー政策の激変を予測・待望する中で行った予測である。「誰もろくに責任を取らないだろうし、世の中もほとんど変わらないだろう。」というものである。これも今の所は概ね当たっている。
 当たったからどうだという事もない。嬉しくもないが、もう大して悲しくもない。日々、この世界への執着心が弱まっていくだけである。