大川隆法著『忍耐の法』(幸福の科学出版・2014)

忍耐の法 (法シリーズ)

忍耐の法 (法シリーズ)

評価 知識1 論理1 品性2 文章力2 独創性1 個人的共感1
 本書の「まえがき」は「職業としての「宗教家」というのは、実に鍛えられるものである。」という言葉から始まっている。そして次の段落では、その具体例として「まず親、兄弟姉妹、夫婦、親戚からの反対に始まって、近所や職場の人たちのウワサ(原文傍点)話や悪口に耐え、顧客からのクレームに耐え、さらに週刊誌の意地の悪い批判に耐える。」と書かれている。職業的宗教家といえば御坊さんや神主さんが思い浮かぶが、ここまで酷い目に遭って鍛えられている人は少なそうである。ほとんどの宗教家はマスコミに叩かれる程有名ではないし、明治以後は親から寺社を順当に相続した宗教家もかなり多いであろう。そう考えると、これは一般論に見せかけた著者本人の愚痴の可能性が高い。職場で職員の噂話に耐える教祖という図を思い浮かべると、慈悲深い私なぞは、対象が仮にカルト宗教の教祖だとしても、つい憐れんでしまう。
 第三段落も相変わらずマスコミ等への愚痴が続くのだが、この段落の最後の部分だけがそれまでの話題とは急に断絶して、「過去の偉人たちの極端な例も挙げたが、必ずや心の支えになるだろう。」という文が登場する。これで「まえがき」は終わりである。著者の文章力が過度に低いせいでこうなったのかもしれないし、この本についてそれなりの解説をしていた幻の第四段落が編集の段階で欠落し、第五段落が第三段落の末尾につなげられてしまったという可能性もある。どちらにせよ、駄本としての雰囲気が最初から醸し出されている「まえがき」である。
 続く第一章では、「「統計学的に見てどうなのか」という視点を持とう」だの「「確率論的に妥当か」の見極めも大事」だのと、それ自体はまともな内容の小見出しも登場している。しかし59ページでは、海軍と兵学校の卒業席次の話題で「ところが、戦争などは実力の世界ですから、このような成績順によって勝つわけではありません。「成績が一番の人が、二番の人と戦ったら、必ず勝つか」と言えば、そんなことはなく、実戦では、むしろ正反対になることのほうが多いのです。」と言い切っている。「ことのほうが多い」とまで言うのであれば、その根拠となるデータをしっかりと示すべきであろう。著者のこの断言は統計的に見てどうなのか、確率論的に妥当か、著者の狂信者はしっかりと考えて欲しい。
 99ページ、「例えば、読者のなかに百年後まで生きている人などいるわけがありません。」とある。しかしこの程度の本は小学生でも読めるのであるから、この本を読んでから百年後にも生きている人がいてもおかしくはないだろう。ひょっとしたら「百年以内に人類は滅亡する!」とまた予言でもやらかすのかと思って読み進めると、続く部分では「ほとんど、いなくなっているはずです。」とあった。この部分では、多少は百年後も生き延びている読者がいる可能性も考慮している事になる。
 これ等「ことのほうが多いのです。」と「わけがありません。」の事例から見るに、どうやらこの大川隆法という人は、断言すべきではない状況・話題でもつい断言してしまうタイプと思われる。こういう人が「神は絶対います!」だの「STAP細胞はあります!」だのと言っても、本人が実はその発言を完全には信じてはいない可能性が高いので、そういう人の信者になる場合には注意が必要であろう。
 後半の章では著者の知識不足が目立っていた。
 244ペーでは、「「天照大神の子孫が、現在の皇室である」という考え方が遺っていますが、これも王権神授説的な考え方です。」としている。だが王権神授説とは王権を神が授けたという考え方であり、王と神との血縁関係はこれとほぼ無関係である。天照の子孫には平群真鳥だの蘇我蝦夷だの平将門だのといった連中もいるが、彼等は王権に逆らう賊とされた。
 251ページ、「釈迦国は意外に専守防衛で、抵抗しなかったために、皆殺しに近いかたちで滅びているのです。そういう面は、今の日本に少し似ています。」だそうである。しかし無抵抗と専守防衛は全く異なる発想である。これらを同一視するのは、自分以外の思想を十把一絡げに「左翼」呼ばわりする一部の三流極右ぐらいのものであろう。
 266・267ページ、ポル・ポト政権の虐殺について犠牲者数を二百万人とし、「しかも、殺されたのは、ほとんどが知識人、インテリ階級でした。」としている。だが一国の人口の約四分の一が殺され、そのほとんどが知識人というのは、余り現実的ではない。
 281ページ、「ジャンヌ・ダルクは、死後、五百年もたってから、やっとカトリックのなかで聖人に列せられました。つまり、カトリック教会は、プライドのために、五百年ぐらい、自分たちの間違いを認めずに頑張ったわけです。」だそうである。だが実際には、ジャンヌの死後二十五年で、カトリック教会はジャンヌが異端者ではなかった事を公的な復権裁判を通じて認めている。
 私も幸福の科学出版に対して二十五年間の猶予を与えるので、それまでにこの本のカトリックへの誹謗中傷が不当なものであった事を公的に認めて頂きたい。
 また仮に百歩譲ってジャンヌの復権裁判の事実を知らなかったのは仕方がないとしても、列聖の前に「列福」がある事ぐらいは一般教養のレベルの知識であろう。列福の話題を避けたのは、ほぼ確実に悪意であろう。
 なお、ジャンヌが死後約五百年で列聖されたという事実を不当に用いてカトリックを貶める文章は、304ページにも登場する。
 こういう本を最後まで読むには、かなりの忍耐力が必要であった。