「「帰化」という単語は元々は差別的な意味なので使用すべきでない」という意見を憂慮中

 「「帰化」という単語は元々は差別的な意味なので使用すべきでない」という意見を最近よく見かける様になった。
 これについては一個の見識だとは思っているので「絶対反対だ!」と対抗する気にはならないのだが、副作用が強過ぎる見解であると思い、憂慮している。
 私が考えるこの意見の問題点は二つある。
 第一は、差別か否かの判断の際に「元々の意味」を重視する風潮が高まると、却って差別に苦しむ人が増えるという事だ。
 確かに世の中には一定数の、「言葉の意味は変化しない。変化と称しているのは全て単なる誤用だ」という立場の人がいるし、そうした意見も一つの見識だとは思う。そういう立場の人の「差別されたので不愉快だ」という損害を減らすには、やはり過去の意味・用法を重視した方が良いであろう。
 しかしより多くの人が、言葉の意味は変化するものだと考えている。「やあいこのX(現代人の多数派にとっては差別語)。ちなみにXとは古語では良い意味だ。」と罵倒された場合、言葉の意味は変化しない派にとっては痛くも痒くもないだろうが、多くの一般人には不愉快であろう
 第二は、「元々の意味」を重視すると決めた場合、いつの時点を「元々」とするかで果てしない論争が繰り広げられるという事である。
 仮に、「現存する中で一番古い用法」と決めたとしても、古典の成立年代はえてして曖昧である。
 「Yという単語は、A子は差別的に使っているが、それより古い時代を生きたB子は寧ろ尊称として使っているぞ。その証拠が『B子家語』だ!」と言った場合、「『B子家語』は後世の偽作だ!」という反論が予測され、「いや、古い文献を参考にして編纂されたものだ」という再反論も予測される。
 これに宗教が絡むと、ますます収拾がつかなくなる。
 「C宗が重視する経典は六朝期に翻訳されたものだと称しているが、学者の大半は唐代の偽作だと言っている。故にZという単語は差別語だ!」と決めようとしても、C宗の信者は容易には納得しないだろう。
 現代語準拠派と古語準拠派の争いを避けるため、「過去一度でも差別的に使われた証拠のある単語は不使用とする」という第三の折衷的立場も考えたが、これをしてしまうと名詞はほぼ全て使えなくなってしまいそうである。
 以上により私は、ある単語が差別的か否かの判断基準は、現代人の多数派の意識に従うべきであると考える。
 そして現代語では、「日本人がアメリカに帰化する」といった表現も「アメリカ人が日本に帰化する」といった表現も、価値中立的に使われており、「黄河中流域の文化こそ至高と考えてそれに同化する」等という意味は込められていない。
 だから私は、当分の間、「帰化」という単語を普通に使い続ける。