幸福の科学の古い本を読んでみた。大川隆法著『幸福の革命』(幸福の科学出版・1998)

 幸福の科学への批判者の姿勢は多種多様であるが、元信者の間では「あの教団は、昔はもう少しまともだった」という共通の立場があるようである。これも細かく分けると「昔は良い宗教だった派」と「昔だってかなり悪い宗教だった派」に二分できるのだが、ベクトルの向きは同じである。
 「教団は段々マシになってきてはいるが、私はそれを超える速度でより賢くなったので教団に今なお残る欠点を見抜き、退会した。」とでも主張する方が自分を賢く見せられるというのに、誰もが「昔の方がマシだった」と言うのである。
 様々な立場を持ち時には互いに激しく対立する元信者達が口を揃えてそう言うのだから、おそらく実際にそうなんだろうとは以前から思っていた。ただし伝聞以外の証拠がなかったので、一応ギリギリのところで判断を保留しておいた。
 そして昨日、とある縁により大川隆法氏が20世紀に書いた著作『幸福の革命』を入手することができたので、早速読んでみた。
 すると確かに、最近目にした氏の著作群と比較して数段まともな本であった。
 特に良かったのは31ページの「たとえば、「青いリトマス試験紙が酸性では赤になり、赤いリトマス試験紙アルカリ性では青になる」ということを知らない人は、リトマス紙の色がなぜ変わるのか分からず、混乱してしまいます。「これは魔法だろうか。あるいは神様の力だろうか」と考えるかもしれません。」という部分である。
 私がもしヒマな上に命知らずであったならば、プレートの運動の結果として地震が起きるたびに「信仰心を失った日本人への神からの警鐘だ!」と叫ぶ某カルト教団の本部に出向いて、この大川隆法氏による尊い記述を伝道してやるところであった。
 諸々の元信者系のアンチ幸福の科学の論者の中には、「退会をして思想的には進歩出来たが、古巣を裏切ったのは事実だ」という罪悪感を持っている人もいるかもしれない。あるいは疑問を感じながらも幸福の科学内部に留まっている人の中には、「アンチの方が思想的には優れているのかもしれないが、道徳的には連中が裏切り者であるのは事実だ」と自分に言い聞かせている人もいるかもしれない。だがそれらは、世俗の形式的な組織論に引き摺られた考えであると思う。
 私には、宗教法人としての現在の幸福の科学への批判を続ける退会者たちこそが、初期幸福の科学の良い側面を特化して、正しく進歩発展させたエリートに見える。彼らは、「邪教を信仰してはなりません」(173ページ)という教えに忠実だっただけなのだ。
 169ページには釈迦の発言として「あなたがたは私の肉体を私だと思ってはならない。(原文改行)私の説く法が私なのである」という言葉が引用されている。これも良い言葉だ。
 誰かの主張に本当に感動したなら、その内容こそを尊敬するべきであって、主張者の戸籍や遺伝情報を尊敬するべきではない。後者を尊敬してしまうと、将来において法的かつ生物学的に同一個体であるその人物が堕落した時に、ともに堕落してしまうのである。