振り返ってみれば、自利は100点中99点、利他は2点中1点の人生だった。

 あと10年以上生きるかもしれない一方でいつ人事不省になってもおかしくないという曖昧な状態なので、面倒でも今のうちに人生を振り返ってみる。

自利 99/100点

 未成年の頃に私が立てた人生の目標は、極めて壮大な上に手段も暗中模索であったが、偶然の作用によって99%達成された。

 詳細はこのリンク先(https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2020/02/17/190235)に書いた通りである。

利他 1/2点

 私が大学生二年生の時に立てた世の中への貢献の目標は、極めて低いものであり、遠大な目標を持った志士達に馬鹿にされ続けた。

 一年生の頃に一丁前に思想系の雑誌を左右問わず読みまくり、「これらの立派な著述家共の九割ぐらいには一生かかっても追いつけなさそうだ」と思い、この時点で世を政治的に変える等という目標は放棄してしまった。

 そこでそういう立派な方々の露払い程度の事をして人生を終えようと思い、「私風情から見ても流石におかしい集団・人・文」を批判することにしたのである。

 「集団・人・文」としたのは、立派な集団にもクズみたいな構成員が混じっており、立派な人でも稀に駄文を書くからである。勿論逆も然りである。

 その小さな目標のために走り続けた成果の一つがこのブログであった。

 盲信しては危険な駄本に対してそれなりに警鐘を鳴らせたと思う一方、大ポカもやらかした(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2020/04/29/194028)。

 だから「2点満点」という低い目標に対してすら、満足とまではいかなかった。

ブログの題名に「終活中」と入れました。古い記事の整理も一段落しました。

 二年前に「過去の記事で舌足らずだったものについては、原則として削除をする」と宣言*1して以来、その作業をゆっくりと続けてきました。

 短い注釈程度で済む場合や、「はてなスター」を1個でも貰った記事は、全体を削除しませんでした。そういう「自己評価は低いけど残す」記事の選別の作業に予想外な程時間を取られていました。

 さて最近私は残念な事に様々な事情を総合的に判断して「いつブログの加筆が出来なくなってもおかしくない」となったのですが、だからこそ終活の一環として、締め切り間際に張り切る作家の如く作業を加速させ、見事に一段落させました。

 あくまで「一段落」に過ぎないので、また徒然なるままに加筆・修正をするかもしれません。

「戦争体験を語り継いでくれる子孫」を育成できたかもしれない方法を考えた。今さら手遅れの手法だが。

 「第二次世界大戦の体験を子孫に語り継いで欲しかったけど、うまくいかなかった」という老人の嘆きにしばしば出会う。

 そこで「戦争体験を語り継いでくれる子孫」を育成できたかもしれない方法を考えてみた。

 それは日露戦争第一次世界大戦を体験した自分の先祖が生きているうちに、その体験談を克明に聞き取り、まずその伝授の伝統を作る」というものである。

 自分が先祖の戦争体験を語り継がない立場であるというのに、自分の子孫には自分の体験を語り継いで欲しいなどというのは、身勝手だからだ。

 この方法自体は今や絵空事であるが、他の何かを子孫に語り継がせたいと強く思っている50代ぐらいまでの人には、多少の参考にはなるだろう。

「安倍晋三殺害事件の動機は宗教団体への恨みなので、民主主義への挑戦ではない」という意見について

 前回の記事の続編である。前回は「故安倍晋三氏が「元総理」や「参議院議員選挙の応援演説家」である以前に現役の衆議院議員であることを思いだせ!」という理由で、あれは民主主義への挑戦だったと主張した。

 今回は「それでも動機はあくまで宗教団体への恨みだから、民主主義とは無関係」という意見に対して二の矢を放つ。

 時代や国によっては当てはまらないケースも稀にあるが、現代日本を含む先進民主主義諸国では、「政党」の他に「圧力団体」というものが存在して良いことになっている。

 そしてどの政治家がどの圧力団体と手を組むかというのは、高度に政治的な問題である。

 ゆえに、ある団体が気に入らないという理由からそれと手を組んだ政治家を殺して困らせてやろうというのは、やはり現代的民主主義の根幹を揺るがす行為である。

 もしもこうしたテロが民主主義への挑戦として厳しく糾弾されず、単なる恨みがましい一私人の宗教問題として評価されてしまうならば、今回軽視された殺害の類似行為がその分だけ多く流行してしまう。

 「農協に恨みがあり弱体化させたいので、農協の支援を受けた政治家は殺す」が農業問題となり、「医師会に恨みがあり弱体化させたいので、医師会の支援を受けた政治家は殺す」が医療問題となり、日本民主青年同盟のせいでX大学で〇派が伸びず悔しいから、彼らに協力的な政党の構成員は全員殺す」は学生問題となってしまう。

 本当に「あの殺人は政治問題ではなく、ゆえに民主主義への挑戦ではない」と言い張りたい人は、完全な快楽殺人鬼がたまたま通りすがりの政治家を政治家とは知らずに殺すような事件が起きるまで、じっと我慢してみてはどうだろうか?

「安倍晋三殺害事件は、参議院議員選挙を妨害した民主主義への挑戦か、それとも宗教問題なのか?」という馬鹿な問いへの答え

 二日前、参議院奈良選挙区の某候補者を応援中の安倍晋三氏が銃殺された。

 そしてその事件の容疑者が政治問題ではなく宗教問題を動機として語ったという情報が流れたため、安倍晋三殺害事件は、参議院議員選挙を妨害した民主主義への挑戦か、それとも宗教問題なのか?」という馬鹿馬鹿しい問いが議論されるようになってしまった。

 私に言わせれば、殺害により昨年の衆議院議員選挙の山口4区の有権者の判断を踏みにじった時点で、すでに民主主義への重大な攻撃である。

 山口4区の有権者の多数派は、「候補者の中では安倍晋三氏こそが国会で一票を行使する自分たちの代表に相応しい」と考えて国会に送り出したのである。それを任期半ばで殺したのであるから、当然民主主義への攻撃である。だから仮に容疑者が奈良の参議院議員選挙有権者の誰にも迷惑を与えない形で殺害していたとしても、昨年の衆院選の民意が暴力で棄損された時点で、もう民主主義は相当程度毀損されたのである。

 まずそれを大前提とした上でならば、「さらにそれに加えて参議院議員選挙の結果的妨害もあったが、これはどの程度民主主義に対する毀損の上乗せをしたと言えるか?」について議論をする意味も多少あるだろう。しかし衆院選山口4区の民意を完全に無視したような問いの立て方は、論外もいいところである。

 おそらくそういう馬鹿な問いをした人の多くは、頭の中が参院選だけで熱くなってしまっていて、現役の衆議院議員を単なる応援演説の弁士程度に思ってしまっていたのであろう。猛省を促したい。

世界民主主義指数ランキングへの興味が薄い日本人について、特に興味が薄い部分が「民主主義」なのか「世界ランキング」なのかを考えた。

 以前の記事(https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2019/09/25/084717)で、日本人が「世界民主主義指数ランキング」への興味が薄く、そのために「アメリカから民主主義を学べ」という見解が横行して日本の民主主義運動の質を下げている事や、韓国を不当に尊敬または軽蔑する見解が横行して親韓・嫌韓運動の質を下げているという事について、語った。

 本稿はその続編として、「では具体的に、特に興味が薄い部分が「民主主義」なのか「世界ランキング」なのか?」について、考えた事を語る。

 参考となったのは、「世界教育水準ランキング」への絶大な人気である。これについては、「一位のフィンランドに学べ!」論者と「いや以下の理由から猿真似は危険だ」論者とが、日々活発な議論を展開している。

 つまり日本人はジャンルによっては世界ランキングに興味を持つ国民なのである。順位を上げたくて堪らないジャンルについては、日々一位を何らかの形で意識しているのである。

 よって日本人が「世界民主主義指数ランキング」への興味が薄いのは、「民主主義」への興味が薄いからなのであろう。

 以下、日本人の「民主主義」と「教育」への興味が逆転したパラレルワールドの様子を推測してみる。

 その世界の日本では毎年の様に「民主主義はノルウェーに学べ!」論者と「いや言葉の壁のせいで危険だから英語圏一位のニュージーランドに学べ!」論者とが活発に議論しており、その努力の御陰で日本の民主主義指数も7位ぐらいはある。

 その一方、教育に関しては興味がある振りをする者ですら「先進的な学問といえば昔から蘭学と決まっている。よってオランダの猿真似をすれば全て上手くいく」と叫び、gurenekoのような臍曲がりだけが異を唱えている。このせいで日本の教育水準はせいぜい17位程度である。

保守派の大半すらロシアの好戦主義を見抜けなかった日本(76年半ぶり2度目)

 最近発生したロシアのウクライナ侵攻を、何年も前から予測できていた者がいれば、何年も前から警鐘を鳴らすことで今現在一気に思想的影響力を強められたであろう。

 しかし「俺様は何年も前から警鐘を鳴らしていたぞ。その証拠がこれだ。今後はもっと俺様の主張に耳を傾けろよ!」という言説を見かけていない。私がまだ発見できていないだけでなく、本当に皆無だった可能性すらある。

 辛うじてそれに似た発言があるとすれば、せいぜい保守派の一部に見られる「私は以前から(一般論として)戦争に備えなければならないと言っていたではないか!」ぐらいのものである。

 しかしそういう保守派の大半は長年ロシアの脅威より中国の脅威ばかり説いてきたのであるから、説得力は上述の架空の発言に大きく劣る。それどころか彼らの長年の単純な中国脅威論が、日本人・日本政府・日本と関係の深い国々のロシアへの警戒心を相対的に弱めさせる一助になった疑いもある。

 思い起こせば日本人は以前もロシアの好戦主義を見抜けず大損をしたことがある。「ABCD包囲陣」だの「暴支膺懲」だの「鬼畜米英」だのといったスローガンを作って東・西・南と戦っていたら、突然日ソ中立条約を破棄されて北からの奇襲を受けたのである。

 この奇襲について「スターリンを批判するだけでは進歩がない。奇襲を受けた間抜けさ加減については自己批判をし、公正に外敵の脅威を評価する能力を身に着けて、次につなげなければならない」と私は十年以上前から警鐘を鳴らし続けてきたのであるが(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/20100728/1280315933https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2021/02/05/064500)、文章が下手なせいかあまり影響力を持てなかった。その結果が、保守派の大半も含めた今この瞬間の日本人の「まさかロシアがウクライナにここまでやるとは思わなかった」という感想である。

 ちなみに「どの程度好戦的か?」だけでなく「どの程度民主的か?」についても、日本人は世界平均と比べて中国に厳しくロシアに甘いという傾向がある。それについても私は前に指摘した(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2019/09/25/084717)。

 ロシアに妙な幻想を抱くというのは、日本の宿痾なのであろう。