【重要】長期休眠のお知らせ。リアル知人には長期不在のお知らせを兼ねます。

 何度か語ってきた弟弟子の苦境(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2020/04/08/233033)がますます強まり、さらにそれに関連して数多くの問題が起き、かつその解決のために私が背負った多くの義理も積み重なり、当分はブログを書けなくなりました。

 詳細は個人情報が絡むので語れませんが、私はとことん不自由な身となりました。

 たまに物理的にブログを書ける時間が出来ても(例えば今)、そもそも記事のネタとなる情報の摂取がままならない状態であるため、面白い事は何も書けません。

 検索で更新を確認しにきてくれる方に申し訳ないので、「今年一杯は更新無し」と先に宣言しておきます。

 リアルの師匠・友人・知人の皆様には、おそらく半年以上の不義理を重ねる事になりそうですが、何卒御寛恕下さい。

大川隆法氏の死とその後の教団の動向は、『ファイナル・ジャッジメント』の解読を通じて10年以上前にgurenekoによって予言されていた?

 大川隆法氏が今月2日に死んだが、報道等によると教団では先妻やその五人の子供達はすでに左遷や追放をされており、消去法で無名だった「ぽっと出」の後妻の大川紫央氏が後継者として最有力視されているそうだ。

 その大川紫央氏というのが、教団の公式見解では坂本龍馬の転生であり、脱会者諸氏の情報によると教団にとっては「謀反人」ともいえる人物の娘らしい*1

 2日、有力者大量粛清後の成り上がり、坂本龍馬、謀反人。

 この四点で思い出したのが、かつて私が書いた「本能寺の変と『ファイナル・ジャッジメント』の奇妙な符合――時は今」(https://gureneko.hatenadiary.org/entry/20120613/1339514239)という記事である。

 大川宏洋氏(現、宏洋氏)が公式に離反する前に製作した映画『ファイナル・ジャッジメント』の内容を深読みすると「織田信長の末路は大川隆法の末路と似ている」というメッセージになっていたというのが、その記事で私が語った内容である。

 そして今月の大川隆法の死とその後の教団の動向は、この大予言をさらに「アタリ」にしたと言える。

 織田信長の死は6月2日

 大川隆法氏の死は3月2日

 本能寺の変が成功したのは、織田信長林秀貞佐久間信盛・丹羽氏勝・安藤守就といった宿将を突如追放して近畿が一種の空白地帯になっていたからである。

 ぽっと出の後妻が教団の後継者として最有力になれたのは、大川隆法氏が長年の幹部であった先妻や息子や娘を追放・左遷したからである。

 織田信長を殺したのは当然ながら明智光秀である。殺害の動機として、長年交流していた土佐の長曾我部氏を守るためであるという説がある。

 そして大川紫央氏の前世とされる坂本龍馬といえば、土佐の出身であり、疑問視する声が強いとはいえ明智光秀の子孫という説がある。

 本能寺の変は当然ながら謀反である。

 大川紫央氏もアルゴラブ氏の情報によると謀反人の子らしい。

 霊能力を誇示する大川隆法氏の予言が外れまくる一方で、そんなものを信じていない筈の宏洋氏の当てこすりとgurenekoによるその解読が大予言になっていたのである。皮肉なものである。

大川隆法氏の死去情報についての感想

 このブログでその著作を集中的に批判してきた三人(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2020/10/07/230000)のうちの一人である大川隆法氏が死去したらしい。

 個人的な感想を言うと、濤川栄太氏の死の時と大体同じく、一種の感慨こそあれ、まだ喜びも悲しみもわいてこないという状況である。

 「多くの虚偽を著作に書いてきたオッサンが一人死に、世の中はそれだけ綺麗になった」というのは一般論としては正しいのだが、一つの勢力を率いて他の類似勢力と覇権抗争をしていた人物の死はそう単純にはいかない。

 コロナが流行した直後に大川氏が独自の理論に基づいて所謂「マスパセ」や「反ワク」を唱導したとき、私は厳しく批判をした。それどころか「大川がここまで酷い奴だと長年気付けないでいた自分」についても厳しく自己批判をした(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2020/04/29/194028)。

 ところが「言論でマスパセや反ワクを唱導するだけでなく、ワクチン接種会場に対して直接襲撃をする」という、大川氏よりも更に酷い連中が出てきた。

 この時から、以前叫んだ「頑張れ、橋下徹! 維新の会の中で!」*1と同じく、「頑張れ、大川隆法! 陰謀論業界内部での覇権抗争を!」と叫びたくなった。

 そういう理由から大川氏のこの時期における死が世の中にとって吉であったか凶であったかは不明であり、氏を信奉していた勢力の今後の動向から徐々に評価が定まっていくだろうと考えている。

 因みに以上と大体同じ理由から、三人衆の最後の一人となった辛淑玉氏についても「早く死ね」どころか「早く引退しろ」とすら思っていない。

「怪獣使いと少年」の前史を語る。サトルから一の宮を経る系譜

 私はかつて「「怪獣使いと少年」を少し捻くれた視点から視聴」という記事(https://gureneko.hatenadiary.org/entry/20170828/1503916604)で、『帰ってきたウルトラマン』の「怪獣使いと少年」を語るには、後史である『ウルトラマンA』の「明日のエースは君だ!」と比較の上でなければならないという意味の主張をした。

 今回はその姉妹編として「怪獣使いと少年」の「前史」も語ろうと思う。

1.『ウルトラマン』の「怪獣使いと少年」のサトル

 この回ではウルトラマンとほぼ同等の戦闘力のメフィラス星人が登場する。メフィラス星人は宇宙恐竜ゼットン等と並んで最強の敵の候補とされやすい。

 メフィラス星人はサトルに地球を売り渡すよう要求し、それを拒否されたのが一因となって撤退していった。

 それが「日本」であれ「沖縄」であれ、「ガイジン」や「ヤマト」といった外部勢力に通謀しないことを美徳としたい人達(所謂ナショナリスト)は、この回を絶賛する傾向がある。

 だがウルトラシリーズはそのような単純なプロパガンダに利用される事を好まず、すぐに「そんな単純な教訓を得て満足していて、本当にいいのか!」とすぐに別の視点を用意してくれる作品なのである。

 次にこのサトルのアンチテーゼとして作られたキャラを見てみよう。

2.『ウルトラセブン』の「ひとりぼっちの地球人」の一の宮

 この回では無敵の分身体を操るプロテ星人が登場する。プロテ星人はガッツ星人等と並んで最強の敵の候補とされやすい。

 地球人に絶望した「一の宮」という学生はプロテ星人に通謀していたが、最後にはプロテ星人が実は侵略者だったと気づく。そして組織の内側からプロテ星人の野望を打ち砕いたため、劣勢だったウルトラセブンは自動的に勝利者になれた。

 もしも『ウルトラセブン』の世界の地球人が全員サトルのように頑迷なナショナリストだったならば、当然ながら一の宮のような逸材も登場せず、プロテ星人は初期の情報収集にこそ史実より手間取るものの、最終的にセブンに完勝して侵略を成功させていた可能性すらあったのである。

 つまりこの回は、サトルの「攘夷」(夷人を打ち払い日本の独立を守れという運動)に過度に共鳴していた者に、「大攘夷」(日本の独立を長期的に守るためには夷人と一定の交流をする方が良いという立場)という冷や水を浴びせる効果があったのである。

 「一の宮」という言葉には「皇太子」という意味もある。この回のロケ地は学習院大学である。これはもう常識的に考えて、「さあみんな、「禁じられた言葉」に一捻り加えた対比の回を放映するから、「国」とか「愛国心」といったものについて複眼的思考をしてみよう!」と呼びかけている可能性が非常に高い。

3.そして佐久間良

 以上の系譜を経て、佐久間良がやっと登場するのである。

 「攘夷」や「大攘夷」といった正義感は無く、単に自己利益のためにメイツ星人と通謀したがっている少年である。もしも相手がメフィラス星人であったならば、地球は占領されていたかもしれない。

 しかしサトルや一の宮と異なり、家族も富も才能も持たずに排斥されているからこうなったのである。

 「人類の多数派の側から勝手に仲間外れにした立場の者を、「攘夷」や「大攘夷」といった倫理で裁いていいのか?」という鋭い問いが、ここでは突きつけられている。

 その問いを十全に理解するには、やはり「前史」の視聴・比較が大事なのである。

令和四年は、「~でなければ何でもいい」主義が多方面で壊滅的打撃を受けた年であった。中国・原発・安倍・日本会議。

 令和四年という年を振り返ると、「「~でなければ何でもいい」主義が多方面で壊滅的打撃を受けた年であった」という気分になった。本日はその「多方面」について語ろうと思う。

1.中国(特にロシアとの比較)

 冷戦が終結して以来、日本におけるロシアへの評価は鰻上りとなった。そして代わりに評価が下がっていったのが中国である。

 街宣右翼の中にはその後も「北方領土奪還」を叫び続ける方々が多かったが、「支持するにせよ批判するにせよ是々非々で評価するにせよ、とにかく今後の右翼業界の主流派は中国を批判するネトウヨなのであって、いつまでも北方領土にこだわる街宣右翼は冷戦の遺物に過ぎないから黙殺しよう」というのが、ここ20年ほどの世間の風潮だった。

 そういう風潮の中で、私は長らくネットでもリアルでも世界平和指数ランキングや世界民主主義ランキングなどの国際的には権威あるデータを国内に紹介することで、「この点ではロシアより中国が優れているというのが世界の常識。あの点ではたしかにロシアのほうが優れているが、日本で言われているほど中国と大差はついていない」と地道に主張し続けた(一例→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2019/09/25/084717)。もちろん街宣右翼同様に私も黙殺された。

 そういう風潮を一変させたのが、今年二月のロシアによるウクライナ侵略である。

 これで理解出来たと思うが、「旧東側諸国でもマルクス主義による独裁を捨てたなら安全、捨ててなければ危険」などという単純な親露反中思想のほうが、むしろ冷戦時代の遺物だったのである。

 中国を危険視するにせよ、他の隣国の脅威と比較対照した上で、「正しく怖れる」べきであったのだ。

2.原発

 「正しく怖れる」といえば、原発を他の発電のリスク・費用等を比較対照した上で正しく怖れようという主張は、中露に関する上記の私の見解よりは世の中に受け入れられていた。

 しかしながら「即刻原発を全部廃止すべき」主義者からの一定のバッシングを受けていた。

 そういう状況が長く続いていたが、今年七月の熱海の土石流による太陽光発電の事故の映像が全国のお茶の間に流れたことにより、両主張への世間からの評価の優劣は決定的になった。

3.安倍

 「どの政党を与党にして、誰を総理にするか?」という丁寧な議論を一切無視して、「安倍はやめろ!」だけで連帯した運動がかつて存在した。

 私は「そんな運動が一定の支持を集めた以上、次の政権で必ずファシズムの時代になる」と批判した(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2020/05/05/043000)。

 私が予測した未来は、菅義偉氏のおかげで半分だけ外れた(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2021/09/03/180000)。

 しかしながら半分ぐらいは当たった。

 保守派からの支持も芳しくない状態で更に軍事費倍増等の政策を打ち出した今年の岸田政権に対して、かつて「安倍はやめろ!」で盛り上がった人々は、ほぼ無抵抗に等しい状況である。

4.日本会議

 ここまで偉そうに他人を批判してきたが、最後は三年四ヶ月前まで私も多少は同罪だった件である。

 「自公政権の背後に究極の政治力を持った「日本会議」なる圧力団体が存在し、世の中のほぼ全てを自在に動かしている」という主張がかつて存在した。

 そういう中で、鈴木エイト氏は地道に統一教会の政治力の強大化を指摘してきた。氏の御陰で私も三年四ヶ月前にそれを知る事が出来た(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2019/08/20/023423)。

 そして今年7月に安倍晋三射殺事件が起きてから、やっとマスコミも鈴木氏の後追い取材で統一教会の政治力の強さについて明るみにするようになった。

 日本会議関連の陰謀論は日々信頼を失っていき、せいぜい「あれは実は統一教会とも連携出来るイデオロギー的には緩やかな集団であり…」等の修正論の形で生き残る程度となった。

5.最後にちゃぶ台返し

 最後にちゃぶ台返しのような事を書いておく。

 上述の諸事件を見たり本稿を読んだりして「~でなければ何でもいい」主義を反省した人の中には、「よし、害悪の塊であった「~でなければ何でもいい」主義を即刻やめよう」という決意をした方もいるだろう。

 だがその決意こそが、「「~でなければ何でもいい」主義でなければ何でもいい」主義である。

 即刻やめるのではなく、多少時間がかかっても「これはかつて自分が採用していた「~でなければ何でもいい」主義より総合的に見てマシのようだ」と確信出来るものを、探したり、創造したり、選び取っていって欲しい。

幸福の科学の映画『呪い返し師—塩子誕生』の挿入歌『塩子登場のテーマ』の歌詞の時系列の問題

 幸福の科学の映画『呪い返し師—塩子誕生』の挿入歌のうちの一曲である『塩子登場のテーマ』を耳にし、時系列に疑問を持ったので書いておく。なお映画自体の出来や他の歌の出来や『塩子登場のテーマ』の曲の出来については一切論じない。

 この歌詞は、「来るぞ 来るぞ 来るぞ」で始まり、次に「来たぞ 来たぞ 来たぞ」と続く。ここまでは謎の存在が徐々に近づいて来たことを示唆する雰囲気がよく出ており、中々良い。

 そしてその次に「とうとう塩子が」と語られ、近づいて来たものが何であるかが判明する。これも良い。

 ところがこの「とうとう塩子が」に続く述語が「やって来る」なのである。すでに「来た」と三度も語られていた者が、まだ来ていないことにされてしまっている。

 勿論屁理屈をつければ、「「来たぞ」の主体は塩子の先駆の何者かである」とか「「来たぞ」と叫んだ塩子の第一から第三の被害者の数キロメートル遠くにいた第四の被害者が脅えて叫んだのが「とうとう塩子がやってくる」なのだ」とか言い張れない事もないが、そういう無理な解釈の場合は益々詩としての魅力が死んでしまうであろう。


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深く関わった人たちには、末永く健康に生きていてほしいと思う。

 人生でやりたかったことは99%やり終え、「あとはいつ死んでも平気だ。難病でも事故でも何でも来い」とどっしりと構えていた。

 しかし親戚が急病でひょっとすると私より先に死ぬかもしれないと一報が入るとオロオロしてしまうし、弟弟子が詐欺に遭ったと聞くと非常に残念に思ってしまう。

 人生で深く関わった人たちには末永く健康に生きていてほしいと思う。

 あまり彼らの心配とかをしたくないので、最近では「まず私にさっさと御迎えが来ますように」とばかり祈っている。